それは明日の京都につながること。能登半島地震の被災地で京都市職員は何を学んだのか?
私は子どもの時に阪神・淡路大震災を経験・・とは言え、飼ってた金魚が宙を舞い、たくさんのお皿が砕け散ったものの、大きな被害はありませんでした。そんな私でさえ、急に背中を突き飛ばされたような地震の衝撃は、29年経った今でもハッキリと覚えています。地震は怖い。
本年1月に発生した能登半島地震で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
京都市では、能登半島地震の発災直後から被災地に職員を派遣(延べ1,629名:4月15日時点)し、様々な支援活動に従事しています。
この度、その報告会が開催されましたのでレポートします。
職員からの報告
被災地での奮闘
まず消防局から、地震発生当日に被災地入りし、珠洲市で人命救助を行った状況を報告。地震直後の緊迫した状況が伝わってきます。
続いて、断水した地域の給水活動、避難所運営の支援、災害ゴミの回収、保健師等による健康管理や感染症対策、教育委員会による子どもたちへの心のケアなど。
被災者の皆さまに寄り添う支援、寸断した道路での苦労、避難の長期化によるフレイル対策の重要性なども報告。実に多方面での支援活動を展開している様子が分かりました。
「建物の耐震化が人の命と暮らしを守る」
今回の地震では、耐震化されていない古い木造建物で倒壊や大規模な損傷があったと言われています。家屋などの倒壊は、お住いの方々の人命はもとより、避難や救助の大きな妨げにもなります。
京都も他人事ではありません。
被災した建物の応急危険度判定に従事した都市計画局の建築職は、
建物の耐震化がいかに重要かを強調。
今年3月に京都の地下街「ゼスト御池」で住宅模型の展示や、耐震化の特別相談会を開催。市民の皆さまの地震に対する不安を取り除くにはどうしたらいいか。被災地支援を通じて考え、実践していることが報告されました。
今回の報告会で共有されこと
大規模災害時の派遣では
①過去の経験者を派遣すること
②刻々と変化する被災地の状況に柔軟に対応できること
③関係機関との連携
④こちらから支援メニューを提示し、選択してもらうことが有効
など多くの経験・学びがありました。
そして、私たちの仕事が市民の皆さまの命と暮らしのすべてに関わっていること。私自身がその自覚と責任を新たにした時間でした。
学びを生かす防災対策
報告を受けた松井市長からは、被災された皆様への哀悼の意、職員への慰労の言葉と共に、
今回の経験は「明日は我が身のこと」として
①今回の派遣で何が教訓だったのかを振り返る重要性
②被災地派遣の経験や改善点を共有し、京都市の防災・減災に生かすこと
が伝えられました。
京都市では、これらの経験を2024年度予算(第一次編成)に直ちに反映。
それは明日の京都につながること。
全国で地震が相次ぐ今、私たちはどう備えるのか。
私たち行政(公助)の役割はもとより、自分の命は自分で守る(自助)・地域で支え合う(共助)の大切さが伝わってきます。
阪神淡路大震災以降、数々の震災の経験を経て、自治体間の応援体制など災害時の対応は大きく進展しました。
地域・事業者・行政それぞれに、こうしたひとつひとつの経験を生かして次なる危機に備えていく。その大切さを強く実感したところです。
義援金に御協力を
京都市では、市民の皆様からの温かい善意を、被災地の支援に役立てられるよう、各区役所・支所をはじめ、各本市施設等に義援金箱を設置しています。(令和6年1月4日から令和6年12月20日まで)
被災地の復興はこれからです。
京都市はこれからも、息の長い支援に取り組んでまいります。
多くの方々の御協力をお願いいたします。